日常と非日常
スタジアムは劇場である。
こと欧米に行くとそれを意識したつくりのスタジアムがたくさんある。
劇場=非日常的空間である。
いうなればトップチームの試合は「非日常」の楽しみだ。リーグ戦に限れば14試合の、さらにホームゲームとするとたった7日しかない「非日常」のエンターテイメント。
「非日常」だからこそ北海道までサポーターは飛んだ。さすがに毎週のように日帰りで北海道までは行けない。カップ戦、負けたらシーズン終了のシチュエーションがさらに「非日常」性を増幅させ、予想を上回る人数の北上を誘った。
ホームゲームの運営も、この「非日常」をつくりだすことを考えている。試合前の高揚感をいかにして作り出すか、初めての人が来たいという企画を考えるか。運営のリーダーはそんなことを考えながら「非日常」をつくりだそうとする。
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シーズン終戦の日、私はトップチームより限りなく「日常」に近い状況に置かれていた。毎週行われる下部組織の練習会場。平日の練習も入れると100日近くサッカーの練習をしている「日常」に近い空間。
新日鐵戦当日、遠い「非日常」空間での試合結果を知った直後、すぐ「日常」に戻される環境にあった。
サッカー観戦経験のある人からすると、松本山雅FCのメインスタンドの盛り上がり方はかなりすごいらしい。ゴール裏の人も驚くほどの歓声と拍手。
スポンサーなどが陣取るメインスタンドだが、その何割かを確実に占めているのが下部組織に所属している家族だ。「非日常」空間を楽しみながらも、この人たちには「日常」として山雅に接している当事者意識の高い人たちである。
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これから観客を定着させるうえでは、「非日常」を楽しんでいる人に、いかに「日常」に山雅を感じられるかという要素も重要であると思う。試合運営では「非日常」を作り上げるが、その反対で「日常」で山雅を感じられかという活動が必要になる。
トップチームの試合は終了した。これから半年間にわたり「日常」が続いていく。
この「日常」の時間、空間において、いかにチームへのかかわりを増やすか。いかに知らないひとに山雅を知ってもらうか。「チームの日常化」がオフシーズンに求められる。
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今改めて北海道での集合写真を見ると、「日常」でチームに接している人ばかりだ。運営として、ゴール裏の人間として、いろいろな活動をして「日常」に山雅を感じている人ばかりだ。
そう「日常化」しているからこそ、「非日常」の空間に対する欲求も高くなるのだ。
なんか矛盾していることを書いているようだが、結局この二つは相反してるのだ。
「非日常」と「日常」。
どちらかが欠けてもいけない。両輪として意識していなければならない要素だと思う。
シーズン終了に際してこんなことを書いてみた。
天皇杯二回戦。 松本山雅FC 1-3 新日鐵大分
9月23日、北海道にてトップチーム終戦。
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